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蚕種石(こだねいし)

 昔、相原で養蚕業が盛んだったことを証明する石です。八十八夜近くになるとこの石の色が緑色に変化します。その色を見て孵化させる準備に入ったそうです。勿論、石の色が変わるのではなく石についた苔の色が変化したようです。日本全国 …

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御殿峠

 御殿峠は、江戸時代、相模大山詣の大山道として利用されました。各時代により古川越道や小田原道や生糸街道等と呼ばれ、物資輸送路、産業道として大いに賑わった峠です。新編武蔵風土記稿の多摩片倉村の項に「村内に相州へ通じる一条の …

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相原 ~地名の由来と歴史~

 相原の地名の由来は遠く平安時代末期にさかのぼります。当時武蔵7党の一つと言われた横山党が八王子から相模にかけて勢力を拡大していました。その横山党の粟飯原氏(藍原氏/あいはらうじ)が境川を挟んだこの地域を治めていました。 …

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相原窯跡群

 横浜線の相原トンネル付近の谷戸や山林の中で、土器のかけらが拾えることがあります。明治40年(1907年)、横浜鉄道開設のためのトンネル工事場から、多量の瓦や土器が出てきました。  これは、8世紀ごろ(奈良時代から平安時 …

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多摩送信所跡

【相原遺産】 法政大学校の正門を入りトンネルを抜けしばらく行くと左側に多摩送信所跡の碑石があります。碑石には次の碑文が書かれています。また碑石のそばにはアンテナの支柱の基礎部分が遺構として保存されています。

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善寧児先生碑

 1980 年天然痘の根絶が宣言されましたが19 世紀半ばまで、中世のヨーロッパでは最も恐ろしい伝染病でした。イギリスのエドワード・ジェンナーは1796 年5 月14 日に牛痘(ぎゅうとう)による天然痘予防法を成功させま …

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近藤先生碑

 近藤勇は幕末、新撰組の局長として活躍しました。この近藤勇は武州多摩郡上石原村(現在の調布)で宮川家の末っ子として生まれました。幼少の頃から剣術に長け、15 歳の時「天然理心流」3 代目の近藤周助(小山村の名主島崎家の三 …

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