御殿峠

 御殿峠は、江戸時代、相模大山詣の大山道として利用されました。各時代により古川越道や小田原道や生糸街道等と呼ばれ、物資輸送路、産業道として大いに賑わった峠です。新編武蔵風土記稿の多摩片倉村の項に「村内に相州へ通じる一条の往来あり、南の方上相原村より北の方杉山峠を越えて相州橋本村に達す・・・」とあり、もとは「杉山峠」と言っていたが、京の都からやってきた大納言の御殿や、相原氏の館があったことからいつしか「御殿峠」と言われるようになったという説があります。峠の古道は、道幅が広く、深さもあり掘割状の道路が並行して残されています。又、道に沿って杉並木があり、まさに鎌倉街道御殿峠古道をしのばせます。明治17年(1884年)8月、困民党約千人が決起集会を行った場所は日本閣の敷地内とされています。

(「相原観光エリアマップ」町田市観光コンベンション協会 パンフレットより)

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