相原窯跡群

 横浜線の相原トンネル付近の谷戸や山林の中で、土器のかけらが拾えることがあります。明治40年(1907年)、横浜鉄道開設のためのトンネル工事場から、多量の瓦や土器が出てきました。
 これは、8世紀ごろ(奈良時代から平安時代)、この辺で、相模国分寺(現在の海老名市にあった)・武蔵・国分寺(現在の国分寺市)の屋根瓦や、各地へ移出する須恵器などを作る窯がこの付近には沢山あったからです。現在でも、少し注意して探せば窯跡が発見できます。窯跡の位置は西へ移動し、やがて、丘陵の北側(みなみのニュータウン)に移っていったようです。残念なことですがニュータウンの造成でほとんどが壊されてしまいました。
 相原トンネル付近は「東京都旧跡・相原窯跡」に指定されています。

(出典:あいとぴあ7号(2000年8月) シリーズあいはらのあれこれ、今むかし)

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