相原 ~地名の由来と歴史~

 相原の地名の由来は遠く平安時代末期にさかのぼります。当時武蔵7党の一つと言われた横山党が八王子から相模にかけて勢力を拡大していました。その横山党の粟飯原氏(藍原氏/あいはらうじ)が境川を挟んだこの地域を治めていました。それが相原の地名の源になったという説があります(また、合原、藍原とも言われました)。
 当時、境川は国の境(武蔵国と相模国)ではなかったため、相原は境川の南北にまたがっていました。(当時、境川は、田倉川とか高座川と呼ばれていました。)境川が国の境となったのは、徳川家康が関東諸国を領し、文禄3年(1594年)に太閤検地を行った際、国境を村の真ん中を流れる川と変えたことによります。相原村が分割されたことにより、現在、相模原市にも相原町は存在します。徳川初期は天領でしたが、元禄年間以降旗本知行地となりました。明治になり神奈川県に属していましたが、明治26年(1893年)、東京府に移管され南多摩郡堺村相原となりました。昭和33年、堺村が町田町・鶴川村・忠生村と合併し町田市が発足し、町田市相原町となりました。
(「相原観光エリアマップ」町田市観光コンベンション協会 パンフレットより)

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