『夕焼け小焼け』の碑

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 相原まちづくり協議会は、童謡「夕焼け小焼け」の碑を、中相原町の諏訪神社の権禰宜の中村武比古氏の屋敷に設置しました。その除幕式が2010年4月17 日に行われました。「夕焼け小焼け」の作詞者の中村雨紅は、大正6年(20 歳)から大正12年(26 歳)まで、中村家の養子でした。「夕焼け小焼け」の発表は、大正8年(22 歳)ですから、相原町に戸籍のある時です。このため、「夕焼け小焼け」の舞台は、相原町であることが想定されます。相原まちづくり協議会が碑を建てたのは中村雨紅が相原町のゆかりの作詞家であり、「夕焼け小焼け」が相原と関連があることを周知してもらうことです。大戸の八木重吉の記念館とともに、中村雨紅の碑を街おこしの一つになることを期待しています。

 

 

 建設した碑は高さ1.5 ㍍、横幅1 ㍍です。碑には「夕焼小焼」の作詞

一 夕焼小焼で日が暮れて、山のお寺の鐘が鳴る、お手々つないで、みな帰らう、烏と一緒に帰りませう
二 子供が帰った後からは、円い大きなお月様、小鳥が夢を見る頃は、空にはキラキラ金の星

が書いてあります。
 「中村雨紅」は自筆のサイン文字を使いました。これは、著書「中村雨紅詩集集」(昭和46 年発行)を氏の教え子、大戸在住の西山のぶさん(杉崎太吉氏の義母)に贈呈した時のサインです。バックの夕焼の写真は丸山団地にお住まいの東原利次さんが撮影されたものを使わせていただきました。
 碑を設置した中村武比古氏の場所は中相原町の町田街道沿いで、行昌寺の隣です。バス停「根岸」のそばで、町田街道からも見えます。ぜひ、一度、見に行って下さい。
    (相原まちづくり協議会発行 「あいとぴあ 第33号」から抜粋)

除幕式の様子(撮影:2010年4月17日)

関連情報:中村雨紅

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