≪相原遺産Ⅷ≫
相原駅を降りてとぼとぼと歩いていると初老の男性から「相原小学校はどう行けばいいのでしょうか?」と問いかけられました。「あーこの町田街道をまっすぐ500mほど行けば右側にありますよ」と答えてしましました。
この答えは間違いです。相原小学校は相模原市にもあります。私の答えた相原小学校は「町田市立相原小学校」で、もう一つは「相模原市立相原小学校」です。二つの小学校は直線では600mしか離れていません。「相原」という地名は町田市にも相模原市にもあります。境川を挟んで北側が町田市相原町、南側が相模原市緑区相原となっています。これは太閤検地により高座川(現 境川)を武蔵と相模の境としたため村が分断されたからです。他にも小山・矢部・鶴間が同じく町田市にも神奈川県にもありますが、同じ名前の小学校は相原小学校だけでした。2003年に相模原市に小山小学校が誕生しましたので、同じ名前の小学校は今は2校になりました。鶴間の場合は、町田市立鶴間小学校・相模原市立上鶴間小学校・大和市立西鶴間小学校で区分されています。
町田市相原は江戸時代には武蔵の国に属していましたが、明治元年神奈川県に移管されました。そして明治26年東京府に移管され東京府南多摩郡堺村相原となりました。昭和33年堺村が町田町・忠生村・鶴川村と合併して町田市が誕生しました。その時の堺村の村会議で八王子市に編入するのか町田市に編入するのかでもめてしまいました。昭和32年5月5日の村議会での票決は1票差で町田市編入が決議されました。その時の諏訪正賢村長は堺村史にこの様に回想しています。「町田に合併して非常に良かったと思います」と。
「いきいき町田21 第61号 平成26年7月1日」(町田市老人クラブ連合会発行)に寄稿
修正:平成27年4月7日