幕末から明治時代に生糸や織物などを八王子周辺から町田を通り横浜へ搬送した道です。
絹の道は陸路の他に相模川搬送路もありました。陸路のうち、鑓水地区の商人たちが管理運営した大塚山(道了堂)を通るメインルートを一般的には「絹の道」といい、御殿峠や相原・七国峠を通るルートは「生糸街道」として分ける考え方があります。また、相模川搬送路は、主に相原七国峠から真米、川尻、久保沢を経て相模川におろし、帆をかけ船で横浜へ運びました。絹の道は、横浜が開港し、横浜線が開通する明治41年(1908年)4月まで、大量の絹や生糸が運ばれました。
(「相原観光エリアマップ」町田市観光コンベンション協会 パンフレットより)