八王子から相原の七国峠を通り、相模原の上溝を経て鎌倉へ通じる鎌倉古道。
古代には、上州(群馬県)方面から、秩父山地や丹沢山地の麓を通り、大磯の海まで続いた「関東山の辺の道」でもありました。
平安中期頃は窯跡群・粘土採掘場へ働きに行く工人たちの通った道。江戸時代は相模川で取れた鮎をいち早く江戸へ運ぶルートとして使われた「鮎の道」、幕末から明治時代は、「生糸街道」の一つでした。峠脇の山道から七つの国が見えたので「七国峠」と言われ、七国峠の最高三角点223mに大日如来堂があります。明治の勅命で開都の御嶽社に合祀されましたが、疫病が蔓延したため真米(まごめ)地区の若者が再び「大日如来様」を背負い奉置し疫病は治まりました。