相原駅から大戸ゆきもしくは法政大学ゆきのバスにのってしばらく行くと右側にガソリンスタンドが見えます。このガソリンスタンドには「カイト」と看板がかかっています(現在はカイトの字は小さくなっています)。
その先には最近開店したうどん屋「開都」の看板が目をひきます。ガソリンスタンドについては、凧(たこ)を英語にすると「カイト」なので凧揚げの凧のことかとずっと思っていました。
地図を広げてみるとこのあたりは字名が開都となっており、この地名から名前を採ったことがわかりました。でも開都とは都を開くことであり、相原に都を開くことは100%考えられません。ずっと疑問を持っていました。地元の方に聞いてやっと謎が解けました。
「開都」はもともと開戸だったのが「開戸」だと読みが「ひらきど」になってしまうので、開都と書くようになったのではないかとのことでした。開戸は谷戸と谷戸の間の丘状になった土地の名称です。調べてみると、相模原市に中開戸いうバス停を見つけました。他にも全国いたるところに開戸の地名がみつかりました。
ちなみにバスの終点の大戸ですが、やはり戸が付いているので谷戸や開戸と関連があるのかと調べてみました。
江戸時代から明治にかけて甲州街道の裏街道として八王子―大戸―千木良―小原と回遊するルートが存在しました。大戸には大木戸番所が置かれたことから「大戸」と呼ばれるようになったようです。大戸には大戸観音や町田で一番高い山「草戸山」(別名約365mなので1年山とも言われています)、大地沢青少年センター、都立大戸緑地公園があります。ぜひ一度お越しください。
他にも戸の付く地名があります。「江戸」の江は大きな川の意味です。大きな川が流れて沼地になっていたところなので江戸と呼ばれたのでしょう。又「瀬戸内海」も瀬のある所だから瀬戸になったのでしょうか、それだと瀬戸焼はなぜ瀬戸なのでしょう?